KPOPのCDブックレットやファッション雑誌を見てるうちに写真家にも興味をもちはじめた、今日このごろ
목 나정、LESS、오 중석、목 전욱、 조 선희、홍 장현、표 기식、김 현성etc気になる写真家はたくさんいますがOn styleの番組【チョン ジュニョンのBe Stupid】を見たのもあってhasisi parkさんは特に気になる1人
f(x)の『NU ABO』
B1A4の『IN The Wind』
チョンジュニョンの『Spotless Mind』
のジャケット&ブックレットも彼女の作品。
BE STUPIDという番組ではチョンジュニョンのデビューアルバムの準備を一緒にするクルーとして出演(おかっぱの女性がハシシ パク)
sn@ppのインタビュー
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フォトグラファー ハシシ・パク
「私の夢は写真だけで生きること」
映画監督になりたかった17歳の少女は本で見たタージマハルを直接見たくて、ヒッピーの文化を感じたくて、仏教の発祥地が気になって、一人でインドへ旅立った。そこで生まれて初めて"ハシシ"という言葉を聞いて ただ誰でも発音しやすい言葉だと思い自分の芸名に決めた

大麻草を意味する"ハシシ(hasisi)"という平凡ではない名前の写真家パク ウォンジはどこにでも存在する世の中を尋常ではないようにフィルムに表す能力がある。私が昨日過ぎ去った場所、私の周りの友人の姿とも似ていた日常がハシシのファインダーのなかに捉えられれば話になり絵になる。そして彼女の写真はクローゼットの奥から取りだした一枚の古い写真のように身近になじむ。
このような特別な感性の源泉は彼女の人生のなかにある。高校中退、一人で訪れたインド、二時間だけで撮った15ロールのフィルム、無数のカメラとフィルムの組み合わせで作られた実験的な写真、ハシシ パクの人生をリプレイしてみると彼女の感覚が生まれつきの天才的な才能ではなく情熱が生んだ努力の賜物であることを知ることができる。実験的な写真とはちがい、はにかむようにエヘヘと笑う少女のような顔がより一層魅力的なハシシ パクと一緒に彼女の人生にそっくりそままついている情熱を話した
▷最近の近況は?
特別なものはない。今はアーティストマガジン『Eloquence Magazine』のフォトディレクターとして仕事をしており、ときどき個人的な写真作業をする
▷去る9月から約1ヶ月間On Styleで放送された【チョン ジュニョンのBE STUPID】を通じて"チョンジュニョン クルー"として知られた。フォトグラファー ハシシ・パクを調べてみる人が増えなかったか?
実際にそのような経験は1度だけあった。地下鉄に乗ったら隣のひとが私をチラチラ見ながら携帯で"ハシシ パク"を検索した。恥ずかしかった(笑)最初に出演を決めたとき、番組のなかで私がこれほど役割を占めるとは思わなかった。最初に何人かの若くて綺麗なフォトグラファー候補たちがいたけど、ジュニョンが私を選んで参加することになったと聞いた。みんな気がよく合って現場の雰囲気が良かった
▷番組のなかで見せたファッションスタイルとイメージに多くのファンができた。普段、本人のスタイルもTVのなかの姿と似てる?
最初は番組側が 真っ赤な頭、ビキニなどファンキーで強烈なスタイルを望んだ。今は若いときとスタイルがだいぶ変わったけど、以前の姿で考えてたようだ。少しずつ合わせていって本来の私の姿と似たスタイルを見せた
▷どうしても作品の色が独特だから そのようなイメージが作家に直接投影されるようだ。ハシシ パクの作品はアナログ的で夢幻的な感じが強い。意図した演出なのか?
アナログ的な部分はフィルムカメラを使った結果だ。最近はデジタルとフィルムカメラを5:5程度の割合で使う。スタイリングや状況自体を100%完璧に演出するセットアップフォトグラフィーは嫌いだけど話を演出する部分においては詳細に取りまとめようとする
▷主にどこでインスピレーションを得るのか?
写真はアイデアの戦いだから、普段考えを思いつくたびに頻繁にノートに書く。直接的にイメージを見ることよりは映画や小説、音楽を通じて連想を楽しんでいるほうだ

▷大麻草を意味する"ハシシ"という芸名を使うことになったきっかけは?
ハシシという言葉は17歳のとき退学をした後、一人で訪れたインド旅行で知った。どのような意図があったというよりは英語や日本語で書くにもよくてグローバルな名前だと思った
▷若い年齢で退学してしまい一人でインドへ旅行に行くといえば、ご両親の反対が激しかったのでは?
幼かったが学校という体制のなかに不満が多かった。私は映画監督になりたかったし学校とは別に夢を叶える自信があった。退学を決心してA4用紙15枚分のプレゼンテーションを準備して両親を説得した。インドは中学のとき世界史の本でタージマハルの写真を見て以来、ずっと行きたかった場所だった。最近、両親にもう一度聞いてみたところ当時周りの引き止めが激しかったなかで私を信じて行かせてくれたらしい。多分そのときインドに行けなかったらハシシという名前もなかった
▷ふつうは映画監督になりたければ関連の大学を卒業して就職戦線に飛び込む人生も考えるはずだ。そのような決定をしながら不安はなかったのか?
今 考えてみると確かに熱情的だった。退学後、2001年修学能力試験を受けたが釜山で国際映画祭を控えている時期だった。あまりに行きたくて試験の前日まで参考書の代わりに映画祭パンフレットに蛍光ペンを塗りながら映画を見ることだけ思った。その試験が終わるとすぐに釜山に行き1日4本ずつ映画を見た。そのときは映画しか知らなかったし、誰もがみな そのように生きると思っていた
▷子供のときから映画と写真が好きな子だったのか?
今も正確に覚えている。小学校6年生のとき、ある日曜日の午前11時に【パルプ フィクション】という映画を見て居間に入って両親に映画監督になると話した。そのあと大学に入るときまで一度も映画監督になるという考えを変えたことがなかった。写真はアマチュア フォトグラファーである父のおかげで慣れていた
▷しかし、最終的には映画監督ではなく写真家になった
性格がせっかちで呼吸がはやい作業が好きだ。長編映画は1~2年作業するので自信がなかった。たくさんのスタッフたちをリードするボス気質もなかったし。当時、人間関係でたくさんストレスを受けた

▷いろんな人と作業するのを敬遠する方なのか?
そのときはそのような考えが大きかった。でもスタッフの人数が違うだけで写真現場も全く同じだった。ロンドンの『VICE MAGAZINE』で働きながら自分は人々を嫌がってるのではないというのを悟った。むしろ人がとても好きで私側で作りたい気持ちに自らストレスを与えていた。今は多くの人たちと作業するのがとても好きだ
▷VICE MAGAZINEとの縁が気になる
ロンドンフィルムスクールで大学院過程を終えた直後、『VICE MAGZINE』でファッション画報を一緒に撮ってみないか?いう連絡をもらった。Flickrで私が撮った写真を見て連絡がきたのだ。有名なマガジンの編集長と英語でインタビューをしながら震えてないふりをするのに苦労した(笑)人脈、装備、お金も足りない状況でモデル、スタイリストのハンティングなど一人で全部やり遂げなければならない部分は大変だったけど、たくさん学べたし楽しかった。そこで6ヶ月ほど仕事をして韓国に戻ってスタジオを設立した
▷今まで多くのアーティスト。セレブリティと一緒に写真作業をしてきたが特に記憶に残っている撮影は?
今回 12月号の『Eloquence Magazine』表紙でRyan McGinleyを撮影した。そのときテリム美術館で写真に使った時間がちょうど3分だった。私は2分内で二つの場所で撮るとライアンを引っぱっていって写真を撮ったけどインタビュー中に彼がこう言った「カメラがなかったら無礼に感じるはずなのにカメラの力はすごい」と(笑)その日韓国に来て一度もサングラスを外してないというライアンの目を初めて捉えた
▷フォトグラファーを夢見るドリーマーに言いたいことは?
今 フォトグラファーを夢見る若い子たちがプロで活動するときになればマルチプレーヤーがあふれてるだろう。作品に対する企画力はもちろん自らをプロモーションする能力も必要だ。自分の能力にあってない欲を出したらバランスが崩れる。すぐにウエルメードな結果を出そうとするより、きちんと積み重ねていくことが重要だ

▷若いころのハシシ パクは写真のためにどんな努力をしたのか?
たくさん撮ってみて絶えず実験をした。実際、多く撮ってたのかわからなかったけど学生たちが教えてくれた。最近 写真学科の学生たち100人ぐらいを対象にした公演で、VICE MAGAZINEにいた頃2時間で15ロール撮ったと言うとみんな驚いていた。彼らは休暇中20ロール撮るのも大変だと。また カメラ機種、フィルムをいろいろと変えて撮って実験をした。そのとき使った装備がROLLEI30、LOMOカラースプラッシュ、AEカメラなどだ。特に高かったり良い装備はなかったけど多様に使いながら効果を研究した。
▷現在、進行中である作業や今後の計画が知りたい
『Eloquence Magazine』の写真作業を継続するだろうし、最近新たに始めたことは映画のポスター作業。映画のポスターはこれまでもやってみたかったけど全州国際映画祭で韓国競争賞を受賞した≪December≫のポスターを作業することになった。信念には2回目の個展のために海外に出ていく計画がある。今までしてきた作業の延長線上で少し規模が大きくなるようだ
▷最後に写真家としてのハシシ パクの夢は何ですか?
写真でずっと食べて暮らせること。他のことに目を向けなくても良い暮らしをできるように写真が私を捉えてくれたらいいだろう


